メーサロンと雲南省から来た旧国民党軍の歴史

メーサロンと雲南省から来た旧国民党軍の歴史
メーサロン

国民党軍第93師団安住の地
メーサロン

タイ北部に住む
様々なルーツを持つ人々

タイ北部の国境沿いには様々なルーツを持つ人々が暮らしています。中国雲南省方面から来た中央アジア系行商人をはじめ、アカ/ヤオ/カレン/モンなどの少数民族、宗教迫害を受けて周辺国から避難してきた人々など。そのため、キリスト教/イスラム教/仏教/精霊信仰などが共存し、混ざり合って存在しているのも特徴です。
その中に、中国共産党との戦いから逃れてきた元国民党軍の中国人が含まれています。紆余曲折を経てタイ国民となった彼らは今、チェンライ県のメーサロン(サンティキーリー村)と呼ばれるエリアでお茶、ハーブ、コーヒーなどを栽培して暮らしています。
メーサロンを訪れる前に読んだタイ語の文献や論文が興味深い内容だったので、今後ご旅行される方にも知ってもらえたら嬉しいです。

※後日改めてメーサロン訪問の記録動画をYOU TUBEに上げる予定です

中国共産党軍との戦い

1949年ごろから、中国共産党軍との戦いに破れ退却した国民党軍が雲南省からミャンマー方面へ移動してきた。この頃はまだ蒋介石から中国ービルマ(ミャンマー)国境で共産党と戦う、という大義も与えられていた。しかし蒋介石が台湾へ逃れて以降、93師団は無所属となり支援もなくなっていく。中国語では泰緬孤軍と呼ばれ、まさに孤軍奮闘の歴史である。
この時中国から避難してきたのは国民党軍だけではなく、その親族や共産党の抑圧から逃れてきた農民、志願兵などが含まれていた。

ミャンマー軍との戦い

共産党軍と戦いながら退却を続けた93師団はミャンマーへ入り込んでいくが、ミャンマー側も国民党軍を排除する動きを見せる。ここでも国民党軍は敗走し、タイへと移動することになる。

台湾帰還かタイ定住か

国民党軍第93師団は李彌将軍の指揮下で第1〜5軍に分かれていた。
1961年のミャンマー軍の掃討作戦により、国民党軍は台湾へ帰還する軍とタイへ逃がれる軍に分かれる。
第1、2、4軍の合計4,349名がミャンマーに捕らえられるなどし、台湾へ送還された。
この台湾送還の機会以降は一切の支援をしないと台湾側から通告されるも、李文煥将軍率いる第3軍と段希文将軍率いる第5軍はタイで定住することを選ぶ。理由は色々とあるようだが、既にこの地域で生活を営み始めており今更台湾へ帰るという選択肢はなかったようだ。

メーサロン

こうして、李文煥将軍率いる第3軍はメーホンソン(サンティチョン村)に、段希文将軍率いる第5軍はチェンライに拠点を築いていく。

チェンライでの共産ゲリラによる要人惨殺事件

旧国民党軍がミャンマー軍や共産ゲリラとの戦いを続けながらタイ北部に潜伏していた1969年、事件が起こる。この頃は共産ゲリラによる様々な襲撃がタイ住民を悩ませていたが、それが旧国民党軍の仕業と責任転嫁されるようなこともあったという。
1969年9月20日、チェンライ県はチェンセーンの共産ゲリラより降伏の通知を受けた。この時、旧国民党軍側からは”これは罠に違いない”と忠告があったものの聞き入れず、降伏受け入れのためにチェンライ県知事、郡長、警察署長、第3軍の軍人他、合計8名が共産ゲリラ支配地区に赴いた。
そして、共産ゲリラ支配地域から生還したのは郡長ただ一人だけだった。

タイ側の正式受け入れへ

ミャンマー軍と共産ゲリラとの戦いの間にタイで定住しつつあった国民党出身の中国人たちだが、タイと台湾との間で身柄の取り扱いが折り合わなかった。
1970年にようやくアメリカが介入し支援に合意、旧国民党軍がタイ国境警備軍として共産ゲリラと戦うこととし、タイ側がタイに住むことを承諾する。
1981年、共産ゲリラとのペチャブンの戦いに大勝利した後に武装解除命令が下された。

身分の変遷

1971〜1978年まで一時的な身分証を与えられ、指定された地域外へ出る時はそれを身分証として提示しなければならなかった。
ペチャブンの戦いで勝利後、武装解除し、1986年にはタイ国民としての正式な身分証を発行される。

メーサロン 美斯樂 / サンティキーリーの名前の由来

旧国民党軍出身の中国人の身柄について台湾と交渉した空軍大将タウィー ジュンラサップ ทวี จุลทรัพย์が”サンティキーリー สันติคีรี”と名付けた。意味は”静かで幸福な高地”。
中国人はもともとこの土地を”美斯樂 メーイスーロー”と呼び、意味は”幸福の地”。
この安住の地に辿り着くまでの戦いの歴史を鑑みると、この名前が心に染みる。

メーサロンの光と影

現在はお茶やコーヒー、ハーブ栽培などが主な産業だが、過去には国民党軍が軍資金を得るために麻薬栽培をしていた。ゴールデントライアングルの麻薬王、クンサーは旧国民党軍の血を引く人物であり、ミャンマー・タイ・中国、更にはアメリカも巻き込んだ麻薬利権争いを生んだ。
旧国民党軍の武装解除については、クンサーの動向や段希文将軍が亡くなったことも影響しているようだ。
※この辺りのお話はかなり深いので、ご興味ある方は別途お調べください☺️

段希文将軍と国民党第93師団博物館

メーサロン

その後、メーサロンはお茶栽培について台湾の協力を得たり、タイ王室のロイヤルプロジェクトに参加するなどを経て発展していく。
旧国民党軍93師団第5軍の指導者だった段希文将軍は子供の教育にも力を注ぎ、台湾本土へ留学させるなど様々な方面で尽力した。

サンティキーリーの村を見渡せる山の上に国民党第93師団博物館が立っており、歴史館や将軍の銅像などが置かれている。博物館から少し下ったところには将軍の墓地もあり、立ち寄れば更に歴史の重みを感じられるだろう。

メーサロン
段希文将軍の墓入り口

【参考】

  • MUSLIMLANNA’S BLOG
  • chiang mai news
  • 論文:คนจนี ยนู นานมสุ ลมิ ในเชยี งใหม่ Chinese Muslim in Chiang Mai province of Thailand/อัคราชัย เสมมณี ศศ.ม. (Akharachai Semmanee, M.A.)1

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