バランス

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巷で今、物騒な殺傷事件が多発してますが。
事件だけでなく、様々な角度から見え隠れする日本人の動向?というか、流れからなんとなく感じることがあったりする。

なんか、若い人(だけじゃないとは思うけど)の世界観が歪んでいるというか、偏っているというか、極端というか、そういう風に見える。つまり一つの価値観、例えば学歴・金銭・地位・仕事・遊び(ゲーム)の世界が極端に大きく、または小さくなっていて、その中での自分を過大もしくは過少評価しているような気がする。

過食症と拒食症が表面的には正反対でも実は表裏一体の同じ原因だと言われるように、過少も過大も「バランスを失う」という意味では同様だと思う。
バランス感覚を失った世界観と価値観の中では、「自分は偉大な神のような存在」「自分なんて生きていても仕方がない無意味な存在」などと考えてしまうのではないか?と思う。

今の日本社会では生きていく上で乗るべきレールみたいなものが既に敷かれていて、そこに乗れない=ダメ、乗れなくなるような要素は教育の過程で全て排除するような、そんな雰囲気。「なんかそれ、違うんじゃないかな・・・」と薄々気付いていても、一歩を踏み出せずに閉塞感を覚えたり。
今目の前に見えている、与えられた世界が全てであるような錯覚というか。

私もそういう閉塞感に苛まれた数年間があったし、どう打開すれば良いか分からずにただただ、居心地悪い気持ちで時間を右から左へ受け流す(ムーディー?;笑)生活をしていた時期がある。

必死に悩んで憂鬱になっている自分が自分の世界の全てになりつつあって、生きる意味って何?みたいな自問自答の繰り返し。

で、旅に出たところ、タイのゴールデントライアングル辺りで乾燥してカラカラな空気と青空の下、茶色く濁った河がゆっくりと流れる様を見て、

うわ、私、ちっちゃ!!

圧倒的に、ちっちゃい!!

地球規模で考えたら、私の人生なんて在ろうが無かろうが同じ!

生きる意味とか、なんておこがましい事を考えていたんだろう!!

って思った。

時間の流れや地球規模の世界(地理的・人的)とそこにある多様な価値観から見たら、私の考え方なんてちっぽけで、圧倒的なその差に唖然とした。本当に、「ポカーン」って位に、唖然とした。
自分の小ささに気付いたから「生きていても仕方ない」と思ったかというとそうではなくて、逆に、「自分は自分の小さくて短い人生を、どこに住んでいようと、自分らしく人間らしく、豊かに過ごそう」って思った。
やっと世界(・社会)と人間の一生とのバランスに気付いたというか。

何に触れて気付くか、という事は人それぞれだと思うけど、私は一人旅で気付かせてもらった事が多かったから、一つの道として多くの人に紹介できたらいいな、と思っているのです。。。

旅に限らず、そういう体験のできる機会を、もっともっと日本社会に取り入れないといけないんじゃないかな?と思う。
取り入れるというか、そういう機会を取り上げないで欲しい、というか。
「生きる意味・働く意味」で悩むことはいいことだと思う。特に若い人(十代とか)はそういう時期があってしかるべきで、大いに悩んだらいいと思う。だけど、狭い世界の中でだけで答えを出そうとするのは危険なんじゃないかと。

うーん、屁理屈がましいことを書いてしまいましたが。。。すみません、私の個人的な思いでした。
何事にも、バランス感覚とか客観視できる少しの余地を持つことが重要だと思う今日この頃。

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